院長自己紹介

初めまして、東テニス整骨院 院長の東です!
僕の詳しいプロフィールに興味をお持ち頂きありがとうございます!

このページでは僕の経歴や現在の活動、そしてトレーナーとしての職業を選んだ理由など、僕の自己紹介をさせて頂きたいと思います。

少し長いとは思いますが、最後までお付き合いをいただけたら嬉しいです!

【夢の始まり】

この職業を目指し始めたのは、確か幼稚園の頃だったと思います。

父方の祖父がお医者さんで、僕はこの祖父がとても大好きでした。

同じ埼玉県の幸手市に住んでいたので、風邪を引いたら祖父が往診に来てくれるのですが、祖父が大好きすぎて嬉しくなってはしゃぎ、これだけ元気なら大丈夫だと祖父が帰ったあとに、いきなりぐったりして肺炎になりかけたこともあるそうです(笑)

元軍医でもある祖父の家には天皇陛下から贈られた勲章があったり、町の人からもとても慕われ僕の中では一番のヒーローでした。

そんな祖父に憧れ

「おおきくなったらおじいちゃまみたいなおいしゃさんになる!!」

と決めたのですが、親から

「でもお医者さんになるには人の何倍もお勉強して、遊ぶ暇がないぐらいたくさんたくさん勉強するんだよ?」

と言われたことで心は折れ、お医者さんへの道を諦めました。。。
これが人生初の挫折じゃないかと思います(笑)

でも、この頃から唯一自信があるものがありました。
それがマッサージです。
父は肩こりがひどく、ことあるごとに肩もみをさせられていて、しかも言葉巧みに

「肩もみしたら小遣いやる」

もみ始めてしばらくして、もういいだろうと思いこれでいいかと尋ねると

「今やめたら途中だから小遣いはやらん。時計の針があそに行くまでやったらやる」

と指定された時間は30分後。
もう30分は揉んでいるので今さらやめたら無駄骨。。。
やむなく最後まで揉みきり、小遣いゲット!

1時間100円!!

これで懲りればいいものを、今日こそはちょっと揉むだけでも小遣いが貰えるだろうと毎回同じ手法に騙されるうちに腕が磨かれたのか、親戚やら周りの大人からマッサージが上手いと褒められ、

当時挨拶代わりに人を叩くわ頭突きで窓ガラスを割るわと悪ガキ放題で褒められることがなかった僕は、

これなら人の役に立てるし褒められて、

しかも人の身体を良くするからお医者さんみたい!

おじいちゃんみたいかも!

勉強もいらなそう!

よし、

マッサージ師に、俺はなる!!

と、どこかの麦わら帽子を被った少年のように進路を決めたのでした。
勉強がとても必要どころか一生勉強し続けることになるのに気付いたのはだいぶ先の話。。。

【テニス・怪我、決意】

テニスは、両親がテニスをしていたので産まれた時からテニスは身近な存在でした。
毎週土日は埼玉県加須市にあるむさしの村ローンテニスクラブに行き、親がテニスをしつつ、クラブの人たちに子守してもらい、小学生に上がったら託児所代わりにスクールに入れられ、午前中はスクール、午後はスクールの友達と隣接の遊園地に行き野原を走り回り、悪戯で遊園地の周りを一周する機関車の踏切の遮断機を降ろすスイッチを押したのがコーチにバレてゲンコツを喰らうのが毎週末の日課でした。

その頃は、はっきり言ってテニスはそんなに好きじゃなかったと思います。
楽しかったけど、よく怒られるし、学校の友達とは遊べないし。
でも、そんな僕がテニスに本気になり始めたのは武正真一くんの存在でした。

カッコよくて、テニスがすごく上手く、サーブも速くて跳ねて、なんでも真ちゃんの真似をしようとしてました。
サーブが速くなり始めたのもこの頃からですね。
当時、サンプラスとアガシがすごく強くて、何本もサービスエースを決めるサンプラスを観て自分も打ちたいと思い、クレーコートでエースを取るために必死になった結果、中二の時にサーブでテニスボールが割れまして、その頃からサーブに自信を持つようになりました。
今思えばもっと確率の方にも目を向けておけば良かった。。。

そして憧れの真ちゃんが浦和学院へ行き、真ちゃんみたいになりたかった僕は浦和学院に行くと言い張り、なんとか推薦をいただき浦和学院に入学、そこで現在は浦和学院高校テニス部の監督で、当時はトレーナーとして来ていた中村先生と出会いました。

もうすでにテニスは大好きで、一生関わっていきたいと思っていたところでの「テニスのトレーナー」との出会いは決定的でした。

その後東京リゾート&スポーツ専門学校に行き、ルネサンス浦和でテニスコーチをするようになるのですが、一番の転機は20歳の時のバイク事故でした。

ワゴン車とぶつかり電柱ひと区間分ほど飛び、幸い右肩鎖関節脱臼と右ふくらはぎに傷を負った程度だったのですが、3週間の入院。
サーブだけでテニスをしてきたのに右肩を負傷し、もしかしたら二度とサーブがちゃんと打てないかも、最悪の場合テニスが出来なくなるかもと思った途端に人生が真っ暗闇になってしまい、死にたいと思ってしまったり。

でも毎日色んな友人たちがお見舞いに来てくれて、励ましてもらい、テニス出来ないのにエースをねらえの単行本なんか持ってきてくれちゃう人もいて。
その時読んだエースをねらえは本当に涙が止まらなくて(笑)
気付けば立ち直って、その時決意したんです。

テニスが出来ないと思っただけで死にたくなってしまうほどテニスが好きなのであれば、
いっそこの事故で自分の人生は終わったことにしよう。
今生きてるこの命は拾い物。
だったらその大好きなテニスのためだけにこの拾い物を使いきっちゃえばいいじゃないか☆
死んでるんだから何も恐くない。
よし、テニスのために人生を捧げよう!

って。

その後身体は雨の日は疼くものの右肩も問題なく使え、サーブもちゃんと200キロを超えるまでに回復しました。
なので一度はテニスコーチに戻ったのですが、怪我で退会していく生徒さんの寂しそうな姿を見送る中、

自分がちゃんと資格を取っていれば堂々と治せて、もっとみんなが快適に楽しくテニスが出来るのに!

って思ったらコーチしてる場合じゃないって思いまして、
幼少からの夢だった人を治す仕事、今一度本気で目指すことにしたのです。

【トレーナーへの道】

その翌年、呉竹学園・東京医療専門学校に入学し、十条の整骨院にオープニングスタッフとして入り、順調に治療家としての道を歩み始めました。

勉強にも余裕が出始め、テニスのトレーナーになるにはもっと選手時代のことを思い出さなければいけないと思いJOPの世界へ戻ることにもしました。

コーチをしている間はエンジョイでしかテニスをしてこなかったため、本気で勝つために努力するって気持ちを忘れている恐怖感があったからです。

プロは皆、生活がかかった状態で毎日試合をし、練習をし、真剣にテニス界で生きています。
身体が資本の選手たちを触るのであれば、教科書の知識だけで触るのは無責任だと思い、自分も同じような苦しさを思い出し、身体の面での苦労も心の面での葛藤も、少なからず理解したいという思いから、勉強の傍らトレーニングをし、試合を回り、今より勝つために出来る身体のことをいろいろ研究しながら、試合で出会う選手の身体を診させてもらいつつ、その怪我をなぜどのようにしたのかを聞き、自らが同じ怪我をするように練習をして、その怪我の本当の原因を探ったりもしました。

膝は痛くて階段登り降りはツライし、

右肩は左手で腕を持ち上げないと上がらなくなるし、

ぎっくり腰で歩くのもままならないし、

はたから見たら何やってるの?って感じでしたが、痛みの原因や痛めてしまう動作を自分の身体でしっかり理解していく事が楽しくて仕方ありませんでした(笑)
何より怪我をした患者さんと、怪我したもの同士でしか分からない微妙なニュアンスでの会話が出来るのがなんだか好きです☆

そんなJOPを回っていた縁から、川口のグリーンテニスプラザで行われている国際大会のオフィシャルトレーナーや、全日本テニス選手権にアシスタントトレーナーで関わらせていただくなどする中、とあるきっかけでタイで行われている有名なキャンプ、Allout Challenge(通称アラチャレ)にトレーナーとして参加させて頂けることになり、これが私のトレーナーとしての大きな転機となったのは間違いありません。

誘ってくれた金子稔コーチ、受け入れてくださった金子英樹プロには、感謝してもしきれないほどです。

そのキャンプで全日本でのトレーナールーム以来再び鈴木貴男プロとお会いし、一流の身体を触らせていただき、その筋肉の質に良さに驚愕しました。

それからしばらくして海外遠征のオファー、日本リーグでイカイのチームトレーナー、様々な選手との出会いと遠征を経て、
トッププロの受けている治療やトレーニングをその世界だけの特別なものではなく、整骨院という身近な形で誰でも受けやすく一般のテニス界に普及させるため、

2015年5月25日に神奈川県横浜市の綱島に東テニス整骨院を開業し現在に至りました☆

だいぶ長くなってしまいましたね。
この他にも色々なエピソードはあるのですが、それはまた別の機会に(^^)